「エネルギー理工学設計演習・実験2」別冊

5−2 ガス放出

1999.05.27
2001.11.07 rev.1

keywords: outgassing

(rev.1) 内容は変更せず文章を校正した。


 材料表面からのガス放出量は、材料を真空用に選択する場合の重要な指標で、良い真空(低い圧力)を得ようとするほどガス放出量の少ない材料を選ばねばなりません。一般に樹脂や多孔質材のガス放出量は多く、金属やガラスでは少なくなります。

ガス放出とは?

 真空槽を排気すると、内壁などからガスが放出されます。主な成分は水(水蒸気)ですが、その放出量は材料の種類やその材料が置かれていた環境によって著しく異なります。外部から意図的にガスを供給していない場合、充分時間が経過した後の真空槽内の圧力はガス放出量と排気速度によって決まるので(付録A-11参照)、高い真空度(低い圧力)を得ようとすればするほど、よりガス放出量の少ない材料を選択することが重要になります。

 固体の表面には水が沢山吸着されています。また、多孔質材料では内部にも水が存在しています。この水は蒸発しますが、空気中から新たに供給されますので、温度・湿度などの周囲の条件が変わらなければ、材料が蓄えている水の量は一定だと考えられます。この材料を真空にさらすと−例えば真空槽の中に入れて排気すると−供給される量は0とみなせるほど少なくなりますが、蓄えられている水は暫く放出(蒸発)し続けます。これがガス放出という現象です。

 非常に単純化した計算をしてみます。固体の表面には水分子が 1020 個/m2 吸着されており(注1)、単位時間当たりに一定量の数が放出され、1000s で放出され尽くすと仮定します(注2)と、単位面積当たりに放出されるガスの量 q は、4x10-5 Pam3/m2s (注3)となります。ここで、固体の表面積 A(例えば真空槽内壁の全面積)を 0.2m2、真空ポンプの実効排気速度 S を 50 L/s とすると、ガス放出による圧力の増加 p は、p = qA/S = 0.16 mPa となり、高真空領域では無視できない量であることがわかると思います。

ガス放出量の時間依存性

 上の計算例では、固体から水が蒸発し尽くせばガス放出は無くなることになりますが、実際には、水以外のガスも吸着されていること、一旦放出されたガスが他の場所で吸着され、そこがガス放出の源になり得ること、固体の内部からもガスが拡散して表面に現れること等の理由から、ガス放出量は時間と共に減少するものの、0になることはありません。従って、目的とする圧力に応じて、0と見なしてもよくなるまで排気し続ける必要があります(その圧力を維持するならば、継続して排気しなければなりません)。

 多くのデータが示すところによると、ガス放出量 q は時間 t に反比例して減少するように見えます。もし、吸着されている量に比例してガスが放出されるなら、q は t の指数関数的に減少する筈ですから(注4)、この現象は、複数の比例定数が存在する−放出されやすい吸着場所と放出されにくい吸着場所とそれらの中間の吸着場所などが混在する−ことを示唆しています。ガス放出の理論的な考察については、真空の教科書を参照してください。

 樹脂などでは、q は t の平方根に反比例して減少する場合があります。これは内部にある水分子などが表面に移動してから放出されるためと考えられています(注5)。q の時間依存性については、これらのような単純な形にはならない場合もありますが、おおまかに言えば、q は t に反比例ないし t の平方根に反比例と考えておけばよいと思います。

材質によるガス放出量の違い

 一般に金属やガラスのガス放出量は少なく、樹脂やゴムでは多くなります。高真空を得たい場合に、樹脂やゴムが敬遠されるのはこのためです。下図にいくつかの材料からのガス放出量を示します。上で述べたようにガス放出量は時間に依存しますが、その他にも材料が経てきた履歴−例えば真空中に放置されていたとか、加熱されていたとか−や表面の状態−錆びているとか研磨されているとか−にも強く依存します。このため、刊行されているデータを見ても、同じ材質なのにガス放出量が1桁異なっていることも珍しくありません。下図は文献[1]、[3]、[8] を参照して私が収録したものであり、複数のデータを取捨選択しています。単なる目安であって評価済では無いことに注意して下さい。

ガス放出のまとめ

 以上を簡単にまとめると、次のようになります。

樹脂からのガス放出について −吸水率との関係

 樹脂(プラスチック)は低真空〜中真空で便利に使える材料ですが、ガス放出量のデータはそれほど多くありません。このような高い圧力領域では、ガス放出量があまり問題にならないためでしょう。しかし、高真空領域で少量の樹脂を使うことはよくありますので、できれば様々な樹脂のガス放出量を知っておきたいところです。

 樹脂から放出されるガスの主成分は水であることと、放出量は時間の平方根に反比例して減少する場合が多いこと[3]から、樹脂内部に含まれている水がガス放出量をかなり左右していると考えられます。そこで、樹脂の吸水率(注6)とガス放出量(排気1時間後と5時間後)との関係を調べてみました。結果を右図に示します。吸水率の値は、日本化学会編「化学便覧基礎編」改訂4版 丸善(1993) から得、ガス放出量は文献[3]と[8]によりました。ただし、複数のデータがある場合には、あまりにかけ離れているものは除外してあります。図中の記号は次の通りです;PTFE ポリテトラフルオロエチレン、PE ポリエチレン、PS ポリスチレン、PVC 塩化ビニル、PC ポリカーボネート、PMMA アクリル。

 PVCの吸水率は1桁にもわたっていることや、PEの吸水率は <0.01% と記載されているため、正確な値が不明であること、あるいはガス放出量にかなり幅があることなどからおおよそのことしか分かりませんが、PTFEとPEを除いては、ガス放出量は吸水率に比例する傾向があります。また、吸水率が高い材料の方が、時間が経過してもあまり放出量が減少しない傾向も読みとれます。これらのことより、

というちょっと大胆なモデルを立ててみました。 t を時間(hr)、x を吸水率(%) とすると、上の図に示したデータをフィッティングすることによって、ガス放出量 q は、

 q = 1.5E-4/t + 4.2E-3・x/t1/2  Pam3/m2s (1)

と表されます。例えば、x = 0.01%、t = 5hr では q = 4.9E-5 Pam3/m2s となり、x = 0.1%、t = 1hr では q = 5.7E-4 Pam3/m2s となります。

 (1)式は上の図に合うように定数を求めた結果ですから、直ちに他の樹脂材料に適用できるとは限りませんし、時間範囲を外挿できる保証はありません。例えば Mylar(du Pont社の商品名)はPET(ポリエチレンテレフタレート)のフィルムですが、q の実測値はPETの吸水率(0.1〜0.2)から予想されるよりも遙かに小さくなります。これは、フィルムでは内部の水が短時間の内に放出し尽くしてしまうことが原因だと思われます。また、ナイロンは吸水率が1.5% もあることから、ガス放出量はかなり大きいことが予想されますが、51時間排気後での値はPMMAよりも小さくなります[3]。この場合にも内部の水が放出されてしまった可能性があり、そもそも、24時間吸水させたデータから51時間放出させたときのデータを予測することに無理があるのは明らかです。

 このように、あまり利点が無いように思われる(1)式ですが、それでも、ガス放出量の上限値を与える経験式として利用可能ではないかと思っています。新しいデータを入手したり、更に考察を加えた場合には、以下に追記することにします。(1)式は目安であって、設計に耐える式ではないことに、くれぐれもご注意下さい。

以上

(注1) 固体表面の原子の面密度は 2x1019 m-2 程度である。表面はミクロに見れば凹凸があるので、その影響(比表面積とか表面粗さと呼ばれている)を5倍とし、1個の原子当たりに1個の水分子が吸着されていると仮定した。 (注2) 後で述べるようにこの仮定は正しくないが。この計算は、表面に存在するガス分子の影響が無視できないほどあることを示すためのものである。 (注3) ガス放出量は一般に単位面積(m2)、単位時間(s) 当たりのガス量(Pa・m3) で表わされる。ガス量が Torr・L であったり、面積が cm2 であったりもするので、単位の分母と分子を約して Pa・m/s などとはあまりしない。 (注4) 吸着されている量を N、比例定数を k とすると、dN = -kNdt が成り立つ。t = 0 で N = No とすると、この微分方程式の解は N = No・exp(-kt) となる。 (注5) これに関する解説は文献[3]を参照されたい。ところで、時間を t、拡散係数を D とすると、分子が表面に到達するまでに移動する距離(分子が存在している深さ) L のおおよその値は (Dt)1/2 である。両辺を微分すると dL/dt = (D/t)1/2/2 となり、dL/dt は時刻 t におけるガス放出量に比例する・・・ という簡単な説明ではどうであろうか? (注6) 厚さ3mmまたは1/8"(約3.1mm)の試料を24時間蒸留水に浸し、重量増加を元の試料重量で除した値(%)が一般に用いられる。


このページは、高木郁二が担当している京都大学工学部物理工学科の講義・実験を補う資料として作成したものです。ご意見・お問い合わせはこちらまでお願いします。